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新・性教育指導要領 雛たちのはばたき 1/3
歯止めの効かない少子化に大きな変革なしでの解決は不可能だ、というのが識者はじめ一般大衆までの大半の意見になっていた。
与党の二分化から始まった政界再編は、そういった閉塞感を打破せんという国民全体の意志に後押しされた。カリスマ的な総理大臣が誕生し、経済・産業・教育にわたって大変革が行われた。
教育においては若者の失業率の高さを解消すべく、他国に過去みられないユニークな方策をとった。問題の根本には自信をもてないことにあり、その解消のために自分が「女性として」「男性として」必要とされる原体験をもつべきだ、とした。
すなわち性教育の一環として、学校で教育として性体験をすべての子供たちに行わせることが義務化されたのだった。
これは前時代の価値観からすれば、まったくもって「余計なお世話」以外の何ものでもなかったが、政府がこの「余計なお世話」を焼かなければいけないほど、状況は深刻だった。
これを可能にしたのは、100%に限りなく近い経口避妊薬が開発されたこともある。この薬の発明が、かつては冗談にしかとられかねないこの施策を現実的なものにしたのだった。
前回には、一つのケースをあげることでこの方策の実施のありようを概観した。
今回は、前回からさらに日時を後とする、とある地方都市のケースをとりあげる。人口は五十万近くだが、都心からはかなり離れている。多くの若者は都内の大学に進学するか、地元企業に就職するかというところだ。
しかし、今回の主人公たちにとっては、そのような選択はまだぼんやりしたものでしかない。
そんな市の高台近く、静かな住宅街に囲まれた私立の学校が彼らの通う学校だ。
改めてこの方策の具体的なことがらを概説すると、この半強制的に行われる性体験は、当事者である彼ら、彼女らが「相手として希望する」者たちをリストアップして提出する。それに基づいて、ある程度は希望が反映された相手と行為を行うことになる。
細かなルールについては、各自治体の方針に委ねられていた。たとえば、この市においては、同じ学校の同学年の者から、異性を二十人までリストアップすることができた。これは二十人すべてあげることが求められるわけではなく、無記入でも構わない。
無記入であった場合や、マッチングによって希望の相手がリストにいない場合には、教育機関所属の指導員がその相手となる。主に二十代のものが選ばれていて、こちらを希望するために無記入とする者もいた。
この「実習」場所についてもさまざまであるが、この市においては経営難だったラブホテルを市が接収し、そこが使われていた。もっとも、調度品や内装などはシンプルなものに変えられているので、その面影はほぼない。
もともとそういう用途が想定されていないため、ホテルのロビーは狭苦しい。学年全員が入るわけにはいかないので、今日はグループ分けされた男女四十人が自分が呼ばれるのを待っている。
二年五組の長塚恭太郎≪ながつか・きょうたろう≫が見る限り、同じクラスの男女が多いようだった。ここにいるということはすなわち、このなかでカップリングが行われるということで、普段ともに学校で生活している相手を選ぶのはごく自然なことだろうと彼は納得した。
私立の進学校でもともと大人しい生徒が多いのだが、緊張もあってか、この狭苦しい空間でも騒ぐことなく、たまに小声で会話を交わすだけだった。それも、これから行われることではなく、流行っている映画であるとか、次のテストのことであるとか、わざと話題をそらしているように思われた。
やがて、女子の方からカードキーが渡され、それぞれ部屋へと散っていった。それが終わってから、部屋番号が書かれた札が渡される。紙をラミネートパウチしただけの、簡単なものだった。
皆の表情は、それほど明るいものではなかった。初体験を迎えることに喜びもないではないが、行為に対する戸惑いと、相手が誰に決まったのかという不安のほうが大きいようだった。
恭太郎も例外ではない。
そもそも恭太郎はこの仕組み自体に疑問を抱いていたし、性行為の相手を選べと言われても無茶な話だと感じていた。
クラスの女子とはそんなに会話をすることもないし、手をつなぐことすら想像できないのに、お互いの裸体をさらして、肌を重ね、性交渉をするというのは、高いビルの上から突き落とされるような心持ちだった。
とはいえ、教師の言うこと、決められたことに素直に従うのも、この学校の生徒たちは慣れたことだった。
だから特に不平を表だっていうことはなかった。番号札に目を落とし、気は進まないものの部屋に向かった。
相手の希望者リストには、彼は一人しか書かなかった。
小里琴美≪こざと・ことみ≫という同じクラスの少女だった。なぜ彼女の名を書いたかというと、別に彼女を好きでいたわけでも、髪型が好みだったからでも、よく会話をする間柄でもない。
理由といえば、恭太郎はかつて琴美の隣の席になったことがあった。
もちろん理由はそれだけではなく、琴美が教科書を忘れ、それを貸した。ささいなことではあったが、そのささいなことが恭太郎にとって、同じクラスの女子との最大の触れ合いだった。
琴美はおおまかにくくってしまえば真面目な優等生タイプの女子であり、恭太郎でなくとも近寄りがたい雰囲気をもっていた。女子どうしでもそのようで、嫌われているわけでもないが、どこかのグループに入ってわいわいと騒ぐという姿は見られなかった。
また琴美は、プライドが高いというか、自分の弱みをあまり人に見せたがらないようだった。
件の教科書の一件でも、自分から恭太郎に貸してくれとは言わなかった。チャイムが鳴って、その時には当然のように琴美は席についているのだが、カバンや机の中をごそごそしだして、それは隣の恭太郎にも伝わるほどの慌てぶりだった。机の上にはノートと筆記用具しかない。教科書を忘れたのであろうことは想像がつく。
そんな様子を見ても、恭太郎は琴美に声をかけにくかった。やがて、琴美は処刑でもされるように背筋を伸ばして、まっすぐ何もないところを太めのフレームのメガネ越しに見つめていた。口はきりりと固く結んでいたが、顔色はよくなかった。
教師がやってきて、授業が始まった。恭太郎と琴美は最前列だった。教師がある生徒に、前回はどこまでだったかを尋ねた。教科書をめくる音が一斉にする。
そこで恭太郎としては、最大に勇気を振り絞った行動にでた。
教科書を開き、琴美との間に置いた。二つずつ机を繋げた並べ方なので、間に落ちることはない。そして、開いた教科書の背表紙を、少し琴美側に押し込んだ。
琴美は大きくまばたきをして驚いたようすだった。小さく「あっ」と声を発した。
その動作自体は誰にも見られることがなかったが、しばらくして教師がその様子に気がついた。
「長塚、教科書忘れたのか」
「はい、すいません」
それで済んだ。琴美が忘れ物をするはずはないという教師の先入観と、琴美寄りに置かれた教科書が、そう判断させた。
授業が終わると、恭太郎は隠すように教科書をするりと自分の机にしまった。ぼそりと琴美が「ありがとう」と呟くのが聞こえた。恭太郎が顔を上げると、琴美は席を立ってどこかに行くところだった。
それから、二人の関係が何か変わったわけではない。少なくとも、見た目には何も変わらなかった。恭太郎の心中には、やりとりの記憶だけ残った。これで恩を売ったなどとは思っていない。ただ単に、接点のなかった他の女子たちとは違いがでた、それだけだった。
そういう経緯があって琴美をリストにあげたまでであって、決して琴美の裸体を見たいとか、身体を触りたい、という気持ちではなかった。
誰が相手であれ、不安なことは変わりない。一度はそんなやりとりがあっただけ、琴美だと少しはましだ、と恭太郎は思っている。実際に相手が琴美になる期待はしていなかった。琴美にとっては、恭太郎と他に何があったわけでもなく、琴美が恭太郎の名前を書くことは思いもよらなかった。
期待や望むものはなく不安だけ大きく背負って、恭太郎はドアノブに手をかけた。
ドアの音がしてから立ちあがったのか。制服姿の少女はこちらを向いて立っていた。肩越しの少し長い髪、太いフレームの眼鏡、それ越しでも存在感をもつ強気な目。力のこもった唇。

そう、制服姿の少女だった。大人の指導員ではない。
恭太郎が一人だけリストにあげた少女、小里琴美だった。
琴美が、恭太郎の「実習」の相手だった。
その事実は恭太郎ももちろん驚いたのだが、琴美もそうだったらしく、固くこわばっていた琴美の表情を一瞬崩した。それは、恭太郎が教科書を貸したあのとき、教科書をお互いの机の間に置いたときの表情を思い出させた。
琴美はぽっかりとOの字で口を丸く開けた。が、それを隠すように平常の顔になると、さして緊張もしていないというふうに咳払いをした。口を開けたのはその咳が出る前兆であったと見せるように。
恭太郎はそこから何をしていいかわからなかった。挨拶をするものだろうか。足を進めることすらできなかった。
「長塚くん」
「ぁい」
先に言葉を発したのは琴美だった。恭太郎の口は何か言葉にならない声を出そうとしていた途中だったので、まともな返事にならなかった。
すでに歴戦のつわものであるように、琴美は恭太郎にこまごまと指示をした。
やれ座るように、やれ飲み物を飲むように、やれ室温を何度にせよ、と。
恭太郎はその指示にしたがい、うなずきつつ、心が落ち着いていった。
二人きりになって気まずい沈黙があるよりは、こんなふうにいろいろ指示された方がありがたかった。
飲み物は媚薬作用がある成分が含まれている。そのため緊張もしだいにほぐれ、体が中から熱くなってくるように感じた。これは実習をスムーズにさせる目的のものであって、女性にとって破瓜の痛みを和らげる効果も持っていた。
嗅覚が敏感になり、琴美から石鹸のにおい(先にシャワーを浴びていたそうだ)とともに、琴美自身のものであろうにおいを感じた。肌のにおい、昔にかいだことのあるような、人と密着したときに感じるにおい。
恭太郎もそのにおいを感じられているのかと思い、シャワーを浴びることにする。
何も思わないようにしていたつもりだったが、シャワー室で服を脱ぐとペニスが大きく張りつめていて、パンツを脱ぐと反り返った。
水をかけるなどしてなんとかおさめようとしたが、完全に鎮めることができなかった。
自分は、琴美とセックスをしたがっているのだ、と認識した。
もちろん恭太郎も男なので、したくないわけではないし、琴美の裸を見ることには興味があったが、そこでどうすればいいのか、琴美を嫌がらせないようにするにはと考えるのは負担だった。
なんとかシャワーを出るときには、位置を調整することであまり目立たなくさせるようにした。
琴美は恭太郎にガイド本を再度読み直すように言い、自分も念のためといって読み返した。
しばしの沈黙の後、映像ガイドが始まった。
『これより、性教育実習におけるガイドライン放送を始めます』
ガイド映像は、まずキスをするように指示した。
「長塚くん」
「ぁい」
やはり恭太郎の声は裏返ってしまった。二人はベッドの上で膝立ちになって向かい合った。
琴美が恭太郎の肩をつかむ。柔道技でもかけられるのではないかと恭太郎が思うほどに、がっちりとつかまれた。これが初めての琴美との身体の触れ合いだったが、それを感慨深く思う余裕は恭太郎にはなかった。
琴美は背が高かった。恭太郎は164センチで、けして低いほうでもないし、琴美よりは若干高かった。おそらく琴美は160センチ前後だろう。いま、目線はほぼ同じ高さだった。まっすぐに見つめてくる琴美の視線を避けて、恭太郎は琴美のおでこあたりを見た。赤ん坊の肌のようにつるりとしていて、シャワー上がりで湿り気が残った髪がいくすじか垂れていた。琴美のにおいを濃く感じた。
「いくわよ」
今度は、恭太郎は裏返った声すらあげられなかった。琴美に唇をふさがれてしまったからだ。

当然ながらファーストキスだったわけだが、そんな風情はなかった。琴美が恭太郎の肩をつかまえて無理やり引きつけたからであって、口づけというよりも満員電車で揺れてぶつかったのに近かった。実際、歯と額がぶつかった。
唇が触れ合っていたのは、三秒ほどだったろうか。始めたときと同様に、恭太郎は勢いよく突き放された。
「ま、こんなものね」
恭太郎はこんなものではなかろうと思いつつも、異議を差し挟むことはなかった。
こういうことは何でもないのだと振る舞いつつも、やはり琴美も慣れないことに緊張でいっぱいであることはわかる。ただ、それを指摘することは、彼女が守ろうとしている何かを壊そうとすることだった。
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