天旗 | Nachfolgerin

天旗

ホーム物語短編:Nachfolgerin

Nachfolgerin

 電子音。
 その10ミリ秒後には、パンケーキの気泡のごとく壁にあいた穴から標的が射出される。テニスボール大のゴムの塊である。
 それは、確実にひとりの少女を狙う。部屋は外から閉鎖され、彼女に逃げ場はない。ゴム球とはいえ、高速に打ち出されるため当たれば痛い。
 彼女がすべきことは自分を狙ってくる的を、手にした銃で撃ち落とすことだった。殺傷能力のない摸擬銃だが、ゴム球を粉砕させるには事足りる。
 少女の身体はしなやかに反応する。次第に間隔が狭って射出されるゴム球を撃ち落として行く。無駄な動きはない。部屋の中央をなるべく動かないことがコツだと早々に学んでいた。
 コンクリートにペンキを塗っただけの床にゴム球の破片が積もるころ、射出の音とは違う、ファンファーレのような少しおめでたい電子音が鳴る。
 閉じられていたドアが開き、声が響く。
「命中率98.04%。よい成績です。明日は次のレベルの訓練に挑戦しましょう」
 人の声ではない。電流の増減とコードの羅列で作り出されたものだ。
 彼女は物心ついてから、人間と喋った事がない。見たことはあるが、それはテレビモニタを通じた「学習」と称されたもの。言葉や「外」のことはこれを通じて学んだ。が、彼女が知りたいことはまったく説明されないままだった。
 ──私はなぜここにいて、「外」の人たちと違った生活をしているのだろう。
 ──ここは、どこなのだろう。
 しかし、彼女が最も答えを求めていた問いは他にあった。
 ──私の名前は?

 ドアの向こうには食事がある。アルミの皿の上に、ペースト状の食物が盛られている。スプーンを手にとって口に運ぶ。おいしいとは思わない。そもそも他のものを食べたことがなかった。
 電子音。
「レッスンを開始します」
 彼女はいぶかしんだ。私が中に入っていないとあの声はしない。ずっと時計の針のごとく規則正しく、かつ単調だった生活に変化が起こっているのを感じた。
 ひとつだけある小窓から、中をのぞく。
 銃を片手に、躍るように標的を撃ち落としている姿。銀の髪。黒い服。
 自分か、と思った。ガラスや水に映る自分の姿によく似ている。
 が、しばしの観察の後、その姿が自分と異なることに気づく。床に落ちたゴムの屑。それが二つの異なる輪となっていた。いま、彼女が撃ち落として積もらせている屑はその外側の輪だった。内側の輪は彼女が作ったものであり、つまり目の前の少女は自分よりも素早く標的を撃ち落としているということだ。
 いくつかの電子音と銃声がリズミカルに繰り返された。終了のファンファーレは、いつもと違った効果音だった。
「命中率100.00%。素晴らしい成績です」

 ドアが開き、自分と似た姿の少女が近づいてくる。
 初めての人と会ったときは何と言うのだったか。人に言葉を発するのは初めてだった。唇が震える。
「はじめまして」
 先に言ったのは向こうからだった。慌てて音を真似るようにはじめまして、と返した。
 似た少女はイオンと名乗った。それを聞いて戸惑う。私の名前は──。
「自分の名前がわからないのね」
 イオンの言葉に、こくりとうなづく。
「そう……きっとあなたにも素敵な名前があるはずよ。でもこのままじゃそれも意味がないわ」
 続けて、イオンはここから出て行くのだと言い出した。「外」へ出る。空があり、森があり、街があり、そしてたくさんの人間たちがいる「外」へ。そこで見るもの触るものすべてが変化に満ちているだろう。少女は「学習」しただけの外界に興奮した。
「でも、どうやって」
 まだ喋り慣れないので舌がもつれる。不安を隠さない少女の手に、イオンは一丁の銃を握らせた。その上から、両手を重ねて。
「この銃はヨルズというの。世界に一つしかないもの。これはあなたの為のもの」
 そして、あとは私たちの力を合わせれば、不可能なことはないとイオンは言った。

挿絵

 二人は脱出を開始した。
 その道筋はイオンが導いてくれた。道すがら、イオンはいろいろなことを教えてくれた。銃の扱い方、心動かす歌、おいしいパンのこと、草原を撫でる風の爽やかさ──。
 少女の不穏な動きを察知した警報が鳴り響く中だったが、それは少女に大きな希望と勇気を与えてくれた。「外」でイオンと一緒に暮らせたらどんなに楽しいだろう、と考えた。
 警備のロボットたちが時折現れて攻撃してきたが、イオンの銃、そして少女の手にするヨルズが放つ光弾に散って行った。
 イオンの言うところによると、この施設は巻貝のような構造になっていて、下へ、外側へと進めば出られるはずだという。
 いくつものゲートを突破した2人は、シェルターのような大きな鉄の塊に直面した。それを操作するような機器類は近くに見つからない。
「できれば会わずにすませたかったけれど──仕方ないわね」
 イオンはそう一人ごちると、顔に浮かび掛けていた曇りを振りきって、少女の手を握った。
「ちょっと手間取るかもしれないけれど、もう少し私を信じて」

 二人は、いままでと逆に内側へ、上へと進んでいく。
 この施設の動きを制御しているのは、中央にある所長室であるという。そこに彼女たちは向かっている。その重要さを証明するように、警備ロボットの数が増える。
 そのせいで、いままでのように竹を割るような突破とは行かなかったが、それでも彼女たちは強かったし、2人のコンビネーションの結びつきも、今日出会ったのが嘘のように強かった。
 所長室のドアは、二人を待ちうけたようにすんなりと招じ入れた。
 シアンの光があふれる。広いドーム上の部屋にその冷たい光を放ったライトが昆虫の複眼のように密集していた。
「また戻ってきたのか、イオン」
 部屋の奥に立つ男は、憐れむかのように片頬笑んだ。身に着けた白衣と眼鏡が、光を反射している。
「やるべきことを残していたのでね。──見送りはいいから、外に出してもらえないかしら」
 イオンと男は、長年の知己のように話す。少女はそのやりとりを見守るしかなかった。
「せっかく来たんだ。お友達を呼んでやろう」
 男が後ろ手で操作卓を叩く。部屋全体を揺るがすモータ音。壁が少しづつずれて空間が出来、そこから人影が浮き出す。銀の髪をした少女たちの一群。イオンに似た、そして少女に似たその姿だった。
「──趣味が悪いわね」
「おやおや。そんなことは昔から承知の上だと思っていたよ」
 男の声が終わらぬ間に、イオンに似た少女の一群が襲ってくる。手に得物はない。
 自分に似た人間がこんなにたくさんいる。攻撃される恐れより、自分の希薄さに眩暈がした。だが逡巡の余裕は一秒となかった。即座にイオンは一群へと銃を向け、光弾を放つ。
「ただの機械よ」
 なるほど、次の瞬間には閃光とともに金属の破片となって四散した。少女も銃を構え、一体、また一体と撃ち落とす。的が大きいので、毎日相手にしているゴム球に比べれば簡単だった。
 残り三体、と少女が認めたとき、腹のあたりにどんと何かが当たり、体が崩れた。
 ──熱い。そう感じた。目をやると、左足に傷穴が開き、見る見るうちに血が噴き出していた。
 覆い被さるようにイオンがいた。焦げた臭いが鼻を刺す。イオンも傷を負っていた。傷──むしろ損傷。

挿絵

「あなたも……機械」
 イオンは身体のあちらこちらから金属を露出していた。そのことに驚きつつも、イオンが何かの攻撃から自分をかばったのだと理解する。
 その間にも、イオンは銃を操っていた。再びこの部屋には男とイオン、少女だけになった。
 イオンが少女の手を引いて立たせた。腕の損傷部から、ギリギリと軋む音がする。
「卑怯な手を使うじゃない。ほんとうに方法を選ばない人」
 イオンは男に銃口を向けたが、男は涼しい顔を崩さない。傍らの銃を取ってこちらに向ける。
「私はこの施設と同化している。私を殺せば出ることはできんぞ」
 数秒、場が膠着したが、それは突然に破られた。イオンは銃を捨て、所長へ矢のように突き進む。
 男はイオンに向けて何発か撃った。イオンの身体に穴が開き、そこから火花が勢いよく散った。
 獣のように跳んだイオンは男にのしかかって肩を抑える。
「貴方にひとつ感謝していることがあるわ。このあふれんばかりのエネルギーを産み出す縮退炉を、自分の手で散らせられること」
「この施設ごと吹き飛ばす積もりか」
 イオンは少女のほうに顔を向けて叫んだ。
「ノイエ!」
 少女には「ノイエ」というのが何を意味する語か、わからなかった。
「ノイエ! それがあなたの名よ。さあ、ここから出来る限り離れて!」
 私の名は──ノイエ。
「で、でもイオンは」
「Neueは新しい私、ずっとあなたの中で生き続ける。だから、早く!」
 少女は逡巡したが、イオンの苛烈な語気に押されるように駆け出して行った。
「ヨルズは──そうか、あいつに渡ったか」
 既に男はイオンに抵抗することをやめていた。
「結果として、あなたの思惑通りになってしまったわけね」
 イオンも、すでに表情は穏やかだ。
「しかしまだ未熟だった」
「世界を統べる力を持つのに、充分な人なんていないわ」
「……お前には出来ると思っていた。あの事故さえなければ」
「ほんとうに、勝手な人」
 イオンは、男と唇を重ねた。


 数刻後、施設に大地を突き破らんとする衝撃と爆音に包まれた。


 ノイエは、道の傍らに腰を下ろしていた。
 壁の裂け目から抜け出した外は夜であり、空は雲が覆って闇が濃かった。
 そこから伸びている道伝いにやって来たものの、自分がこれからどうすればいいのか途方に暮れていた。わかったことは、自分の名がノイエだということ、そして手にしたものはイオンから渡されたヨルズという銃。
 この闇空のごとく、先が見えない。
 ノイエは知らぬ間に、膝の間に顔をうずめて眠っていた。
 目を覚まし、ゆっくりと顔をあげると、曙の光がノイエの横顔を照らした。
 すぐに立ち上がる気にはなれず、自分の唯一の持ち物であるヨルズを見る。
 と、握りの部分に小さな文字が書かれているのに気づいた。刻印ではなく、何か鋭いもので削ったような文字。
 その一文を読んで、ノイエは息を飲んだ。そして愛しげにその銃を胸に抱くと、立ち上がって朝日が照らす方へと歩いて行った。具体的に何をすべきかは分からない。
 でも、イオンから託されたもの。イオンからノイエへ、その後ろに無数に連なる誰か、その気の遠くなるような久遠の繋がりが、彼女の足を動かした。
 生まれてはじめて流す涙が、頬を伝った。



   Zu meiner liebsten Tochter Neue

      ──私の愛する娘、ノイエへ





 
「泣かなくてもいいのよ。私はここにいるのだから──」
 まだ、ヨルズの声はノイエには届かない。


-終-

注釈:
 「勇者の像」同様、"コミコミ.ねっと"の企画に応募したものです。こちらは落選したので著作権がややこしいことにはなっていません。

 イラストは上田夢人さんの手によるものですが、当時のサイトのFAQには「著作権フリー」とのことでしたので利用させていただいております。

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