天旗 | 赤い自転車

天旗

ホーム物語短編:赤い自転車

赤い自転車

 これは、僕が小学生の頃の話である。
 そして、そんな昔話を始める前に断っておかなければならないことがある。僕はこれを読んでもらって同情を得ようとか何らかの理解を求めようと思っているわけではない。
 先日、これから先の話にも出てくるTという男が死んだ。僕は大学進学の際に居を移しているが、Tはずっと実家住まいのままでしばらく付き合いはなく、人づてにその話を聞いたときも悲しいとは思わなかった。嫌いだったわけではない。むしろ付き合いやすい友人だったが、それだけ僕の中では彼の価値が薄れていた。
 交通事故だったそうだが、人は誰でもいつか死ぬのだな、と悟った風なことを感じただけだった。
 もっともTの死は要因であっても、理由ではなく、きっかけに過ぎない。
 前置きはここまでにする。
 そう、小学生の低学年の頃だ。

 小学校の登下校は、「班道」と呼ばれた決められた道を通って学校と家を行き来することになっていた。道をひとつ外れただけで「班道やぶり」という罪となり、誰かに見つかれば翌日のホームルーム──「朝の会」とか「終わりの会」とかいう名前だったと思うが──で吊るし上げを食らう。
 起案者はたいてい女子だ。
「Y君が昨日班道破りをしているのを見ました──」
「ごめんなさい、もうしません」
 それに対して気のない謝罪。形式化されたものだ。
 死刑囚が刑場に向かうのでもあるまいし、歩く道が決められているというのは馬鹿馬鹿しい話だが、生徒を管理するシステムとしてはよく出来ている。
 寄り道もなかなか出来ずに登下校は退屈なものだった。登校のときは班での集団登校なので、なおさらだった。
 それでも、僕たちは一日一日を充実させる為に、その登下校の道筋も遊び場としていろいろなことを考えた。
 地方によって呼び方は違うだろうが、「ピン逃げ」という遊びはその一つだ。ようは道筋のインターホンを鳴らして逃げるという、やられるほうにとっては迷惑極まりない行為だ。十軒ほど連続で鳴らして逃げる強者もいた。
 その日、僕と一緒に帰っていたのは件のTと、爺さんが資産家で大きな家に住んでいたUという男だった。僕たちは学校で少し遊んでから帰ったので、帰り道は人気があまりなく静かだった。住宅街を抜けて行くので、生徒を除けば人通りはもともと多くない道なのだ。
 さて、僕の家と学校を結ぶ班道のほぼ中央地点には、とある社宅があった。新築当時は鮮やかなレモン色の壁だったのだろうが、色あせて薄汚れすっかりザラ半紙を全面に貼り付けたようになっていた。
 文化住宅、という言葉もその頃から古い響きをおびていたが、マンションと言うにはお世辞が過ぎた、そんな建物だ。同じようにザラ半紙のような色のシャツを着た小さな子供が周りで遊んでいるのをよく見た。
 住んでいる世帯としては、やっと独立して子供を持った夫婦──もしくは、そうやってここに住み着き、もうひとつ上のステップに行けずにいるような人々だった。
 僕の単純な子供の印象として、貧乏くさい建物だった。
「社宅」という言葉の意味もよくわかっていずに、そこの建物がシャタクという固有名詞を持っているように感じていた。
 僕たちはそこのゴミ捨て場に、一台の自転車がほうっておかれているのを見つけた。そこはブロック作りの凹地で、その日はゴミの日ではないので他にはゴミはなく自転車だけぽつんとそこに置かれていた。
 黒いフレームの、後輪にはまだコマのついた子供用の自転車だった。ところどころ、何かをはがした跡があった。シールでも貼っていたのだろう。かっこいいと思って貼ったシールでも、何週間か経つと、それが急に恥ずかしくなったりするものだ。
 誰から言い出したのか知らないが、これに乗って帰ろうということになった。
 自転車のコマなどとうの昔にはずしていた僕たちにとって、この自転車は別に魅力的でもなんでもなかった。しかし、退屈な下校に新鮮な変化を与えることに汲々としていた僕たちには、それはとても輝かしいアイテムに思われた。
 遊んでから下校して時間がずれたせいか、その社宅の周りにも、班道の途中でも、通りかかる人はほとんどいなかった。
 僕とTとUはジャンケンをしながら、交代にその自転車に乗って帰った。
 社宅からはずっと緩やかな下り坂が長くまっすぐに続いている。目をつぶってどこまで道の真中を歩けるか、というのも試したほどだ。
 その坂を、自転車に乗って滑っていく。足を大きく上げて、ときには手を放して自転車が滑るのにまかせる。
 自分の自転車でいくらでもできることだったろうが、自分たちで手に入れた自転車を使って、班道帰りにすることが僕たちにとってはいいようのない刺激だった。
 坂が終わると、バス通りに出る。ここは車や人の通りが多く、また坂が上下していた。
 いままでのように下りだけならまだしも、そのコマ付きの自転車には上り坂がうっとうしかった。
 僕たちはただそれを押して、味のなくなったガムのように楽しみを吸い出しつくしたこの自転車を、そろそろどこかに捨ててしまおうと考えていた。
 おぼろげだが、そのときには僕が自転車を持って押していたと思う。
 バス通りの向こうから来たスクーターが、僕たちと通りすがりざまにスピードを落とした。
 不思議に思った僕たちが立ち止まると、スクーターに乗っていたおばさんが僕たちを睨みつけていた。おばさんは、スクーターを押してこちらに近づいてくる。僕も、TもUもその場から動けずにいた。
「あんたら、なにしてんの!」
 恫喝の声。
 般若という言葉をそのころは知らなかったが、わざとらしく書いた眉をつりあげていたのはそんな形相だった。
 獣に生きたままかじりついたみたいだ、と僕は思った。それぐらい口紅が赤々と塗られていた。
「なにって・・・」
 僕らは、その怒り狂ったおばさんの顔を避けるようにお互いを見る。僕らがましな返答もできないまま、おばさんは次から次へ言葉をつばといっしょに飛ばしてきた。
 自転車のハンドルを握った僕の手には、汗がにじみでていた。
「その自転車、うちの××ちゃんのでしょ! あんたらどこの子? 何年生? 先生は誰!?」
 おばさんの子の名は覚えていない。おばさん──「さん」をつけるのも馬鹿馬鹿しいので、以降は単に「主婦」とこの女性を呼ぶことにする──は、僕らを罵倒し、浮浪者がゴミ箱から漁った残飯を手で食べているところを見るような目で見た。
 僕たちは、言葉は出さなかったが、お互いになぜこの主婦にこういう扱いを受けなければならないか、という理不尽な思いでいた。
 僕たちが坂道を乗ってきた黒い自転車が、この主婦の息子のものだということはわかった。
 しかし、この自転車はそもそもゴミ捨て場に置いてあったのだ。ただ捨てられるのならば、僕たちが遊んでから捨てようと結果は同じではないか、と思ったのだ。UとTも同じような思いでいただろう。
 いまでこそ、あの主婦が僕たちを泥棒扱いしたのも少しはわからないでもない。しかし、頭ごなしに僕らを悪だと決め付ける態度が僕らを反発させたのだろう。
 主婦は僕らに詰め寄って、名札をつかんだ。
 顔を睨みつけて、僕たちの名前を復唱する。
 香水の匂いと口臭が混ざって、僕は鼻が曲がりそうだった。
 主婦は僕らの名を確認すると、僕たちに社宅までその自転車を戻せと命令した。
 僕が自転車を持ったままで、もときた道を戻る。
 僕たちは貝のようにして何もしゃべらなかったが、主婦はずっとなにやらぼやくように口にしていた。最近の子供はとか、親のしつけはとか、こんな犯罪者予備軍は先生にいいつけて教育をきちんとしてもらうだの、その言葉は余りにも汚くて、僕はこの主婦と同じ国に住んで同じ言葉をしゃべっていることが恥ずかしくなった。
 爽快に滑り降りた下り坂は、こんどは長いながい上り坂だった。
 坂を登り終えたところが黄色びた壁の社宅だ。僕はそこに着くと、黒い自転車をもとあったゴミ捨て場に投げるようにして坂を走って下った。
 UとTも、まるで合図をしていたようにいっしょに走る。後ろでなにか主婦が叫んでいたが、気にせず走った。
 学校や親に言いつけられるということに恐怖はなかった。僕の母はPTAの役員だし、Tの父は町内会の幹部で、Uの家はこのあたりでは知らぬもののない資産家だった。だから、それに関してはうやむやに終わるだろう、という計算が子供ながらあった。
 そんな恐れよりも、憤りや悔しさが僕の中には沸騰して溢れだそうになっていた。走っていて、目頭が熱くなった。泣くとあの主婦に負けると思って一生懸命我慢した。
 坂道を靴が蹴るたびに、ランドセルがガタゴトと鳴った。
 僕は家に帰ると、ただいまも言わずに自分の部屋へと駆け込んで、ランドセルを床に投げ捨てるとベッドにもぐりこんだ。
 身体を丸めて、シーツに顔を押し付けて、こらえていた涙をすべて出しきった。
 いくらもあの主婦に言ってやりたいことがあった。それでも、相手が大人であるというだけで僕たちには言い返すことが許されなかった。大人だからと言って、何が偉いというのか。
 頭もずっと僕の方がいいはずだ。だからこそ、あの主婦はあんな小汚い小さな家に住んで、下品な化粧しかできないのに違いない。
 なんとか、それを証明する方法はないものか。
 僕が、あの社宅に住む人間たちよりも偉いのだということを示す方法が。
 もう泣くのはやめて、僕はその方法を探るために布団のなかの暗闇で考えをめぐらせていた。
 夕食までに、おおかたのプランは出来上がった。夕食の間も、そのプランを遂行する為に何が必要か、そしていかにそれを実行すべきかイメージトレーニングをする。
 言葉すくなに御飯を食べる僕に家族は何かあったのかと尋ねたが、宿題の難しい問題を考えているのだ、と答えた。問題には違いない。
 そして、間違いは許されない。
 僕は家族が寝静まってから、そのプランを実行にうつすことにした。
 ベッドから出て着替えると、まず体操服の袋をとりだした。そこから体育館シューズを持って部屋を出る。玄関から出ると親に気づかれてしまう。裏口から出るのだが、そこには僕の靴はないからだった。
 台所から小さなマッチ箱を拝借して、それから冷蔵庫を開けた。暗い台所に光が一瞬漏れたが、扉の接合部の近くにあるボタンを指で押して電灯を消す。ここが押されていれば扉が閉められていると判断して、電灯はつかない。
 僕は手探りでひとつのペットボトルを手に取った。中身が何だかわからないが、中身は何でもいい。
 体育館シューズをはいて、音をたてないようにしてドアを出ると、もうひとつ必要なものを探す。
 裏の物置にそれはあるはずだった。僕の家にはちょっとした庭と植え込みがあり、それをいじるのが父の趣味だった。
 物置のすぐ手前の方に見つけることが出来た。奥の方ならば、暗闇の中で探さねばならないところだった。
 小さなカバンほどの大きさの透明なポリ容器に、液体が半分ほど入っている。ポリ容器の蓋をあけると、シンナー臭い匂いが鼻を刺激した。
 芝刈り機用のガソリンである。
 ペットボトルの中身を地面に捨て、慎重にそのガソリンをペットボトルに移した。手もとが暗いのもあって多少こぼしてしまったが、仕方がない。
 腕時計を見ると、午前の一時を過ぎていた。
 学校ではつけてくるのが禁止されているので、めったにつけない時計はぎこちなかった。
 音がたつのを避けて、自転車には乗らない。体育館シューズなので、走っても音はたたない。
 マッチをポケットに、さらさらとした琥珀色の液体を満たしたペットボトルを胸に抱いて、僕は家を飛び出した。
 班道と違った、ひとすじ裏に入った道を走る。
 これは登下校ではないからどの道を行ってもいいのだと言い訳して、それどころではないことに苦笑する。
 さすがにこの深夜には、人通りはまったくといっていいほどなかった。それでも辻にさしかかると、壁や電信柱に身を隠してその先を探って人がいないのを確かめる。電灯の明かりも避けるようにした。
 まるで盗人だ、と自嘲した。
 しかし、これは僕がこれから生きていくために必要なことなのだ。
 僕が、これからの人生を誇り高く生きていくために、犯さなければならないことだ。
 僕の知恵と勇気を示すために。
 慎重に歩を進めたが、その間は小走りをするので目的の場所へはほどなく着いた。
 うす茶けているはずの社宅は、非常灯がぼんやりとついている部分を除いて、闇の中に落ち込んでいた。
 自転車があったゴミ捨て場は、道路に面しているので街灯に照らされている。僕は再度あたりを注視し、窓に灯りがないことを確認した。
 絶好なことに、ひもで束ねたダンボールが積んであった。そこに近寄り、ペットボトルの蓋を開ける。かすかにプラスティックの蓋がカチカチと鳴った。街灯がジンジンとうめく音が、多少その音をごまかしてくれていた。
 ダンボールのほかに、ゴミ袋が何袋かあった。朝に出せよと心でつぶやきながら、ここの住民の程度の低さを確認した。
 ホットケーキにシロップをかけるように、ペットボトルからガソリンを垂らす。一気に揮発性の匂いが広がった。ダンボールはガソリンを吸いきれず、コンクリートの地面を濡らしていく。ペットボトルの中身をすべて出してしまうと、それはダンボールに並べて置き、僕は三歩ほど離れてマッチをすった。
 五本ほど点火に失敗した。手が震えていたわけではない。単純にマッチの使い方に慣れていなかっただけだった。失敗したマッチ棒は片手で持っていた。
 やっと成功したマッチが、ジュオッと心地よい音を立てて、あたりの闇を赤く切り取る。失敗したマッチ棒を束ねて大きな炎にすると、ゴミ捨て場に放り投げた。
 マッチが着地する前に、ボフッ、という音とともに炎の輪が広がった。一瞬のち、その輪がダンボールのところに到達し、縦に炎が立ち上がった。生きる紅い柱がうねった。
 これも歳が長じてから理解したが、揮発した気体の部分が引火したのだろう。液体としてのガソリンがそのまま火がつくと考えていた僕は、その意外な燃え方に驚いた。
 炎は原始からの照明として、あたりを橙色に照らした。そこに、中途半端な場所に放置してある、赤く照らされた自転車も見つけた。それが僕の心を落ち着かせ、誇らしくさせた。この炎は僕の勝利の記念碑だった。
 とはいえ、長居はしていられない。僕は道路を渡った反対側の、造成途中のこんもりとした空き地の山に潜り込んで反対側に抜けて、来た道とは違う道をたどって帰宅した。
 土のついた体育館シューズは、感謝とすまなさを感じながら、ビニール袋にくるんでしまっておいた。次の日に体育はない。その間に雑巾ででも拭けばよかった。
 次の日、登校の集合場所に行った僕に、六年生の班長が告げた。
「今日、ちょっと道変えていくから」
 僕には理由がわかった。昨日の成果を見られないのは残念だったが、仕方がなかった。下校のときにも現場手前に先生がいて、近づくことは出来なかった。
 その次の日には、その封鎖も解かれた。僕が打ち込んだ楔は、ゴミ捨て場を黒く焦がし、その煤で社宅を汚すといった形で残っていた。社宅まで炎が及んだのかはよくわからなかった。
 被害についても、僕の耳までには伝わってこなかった。
 社宅で火事があったという事実については、朝礼で担任教師も触れたし、後から親にも聞いたが、怪我人があっただの、どれくらい焼けただの、そういう話は聞けなかった。
 特に気にするわけでもなく、いつもどおりにニュースも新聞も目にしていたが、地方欄でさえ報じられることはなかった。それ以上調べようとも僕は思わなかった。
 僕にとってはもう終わったことだったし、僕に疑いの目が向けられるとも考えていなかった。一週間もすると皆が話題にしなくなったし、僕も現場を通りかかっても何も思わなくなった。実際、学校に体育館シューズを持っていく必要がでてきてから、どこに置いたかと探すほどだった。
 終わってしまえばどうでもいいことだったが、僕には通過しなければならないことだった。僕に一生付きまとったかもしれない、くすぶった炎は、燃え上がらせる必要があった。
 僕はこの行為を、いままで後悔したことがない。

 Tの葬式には僕は呼ばれなかった。Tが死んだのを聞いたのは、先のくだりで一緒にいたUからだった。
 しばらく連絡のなかったUから電話があったのは、別に旧交を温めるわけでもなく、彼が県会議員に立候補するので一票を乞うてきたのだった。つまり、僕はただの名簿の一員であるに過ぎなかった。
 同時に彼が話したのは、Tの死であり、その三人の共通の思い出である自転車の件だった。
「当選しても、昔の悪戯は言いふらさないでくれよ」
 そう笑ってUは電話を切った。彼はそういう片付け方をしているようだった。ぼっちゃん育ちで温和な彼には、納得できる処理の仕方だった。
 Uは当選するだろう。彼の力や人柄ではなく、彼の親族が持つ力によって。そうでなければ、彼が自分から立候補などするはずはない。数年程度のつきあいだったが、それぐらいはわかる。
 僕は、この文章を世間に開帳するつもりはない。
 ただ、僕に子供が生まれたら、そのときに読ませたいと思う。罪を告白するというつもりではない。僕の子供に、つまらないことをくすぶらせたまま育って欲しくはないからだ。
 押し付けるつもりもない。彼が自分で考えればいい。
 だが、期待している答えもある。
「ガソリンはペットボトルに入れると、下手すると溶けちゃうよ」
 そんな聡明な子供に、僕は育てたい。


-終-

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